薩摩が琉球に発した 「掟十五カ条」 と「定め」

「掟十五カ条」
最新版 沖縄コンパクト事典

薩摩入りの時、尚寧王は捕らわれて将軍に拝謁のため江戸まで連れて行かれたが、11年鹿児島から帰国の際、薩摩藩から琉球が今後守るべき法度十五条を押しつけられ、琉球は薩摩藩の実効支配を受けることになる。

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近世琉球/島津氏の琉球支配 ■掟15条
http://rca.open.ed.jp/history/story/epoch3/shihai_3.html
1. 薩摩の命令なしで、唐へ誂物(品物の注文)をしてはいけない。
2. 現在官職についていない者には知行をやってはいけない。
3. 女には知行をやってはいけない。
4. 個人で人を奴僕としてはいけない。
5. 諸寺社を多く建立してはいけない。
6. 薩摩の許可がない商人を許してはいけない。
7. 琉球人を買いとり日本へ渡ってはいけない。
8. 年貢、その他の公物は、薩摩の奉行の定めた通りに取納すること。
9. 三司官をさしおいて、他人につくことはいけない。
10. 押し売り押し買いをしてはいけない。
11. 喧嘩口論をしてはいけない。
12. 町人百姓等に定めおかれた諸役のほか、無理非道を申しつける人があったら鹿児島に訴える。
13. 琉球から他領へ貿易船を出してはいけない。
14. 日本の桝以外用いてはいけない。
15. ばくちや人道にはずれたことをしてはいけない。

 知行とは、所領支配・土地からの収益処分

 

「定め」
一部で有名な?「大和めきたる苗字の禁止」のでどころが、
1624年(寛永元年八月二十日)に薩摩藩が琉球に対して発した「定」

明清に朝貢する琉球国に対する薩摩藩の姿勢と態度 – 交流協会
https://www.koryu.or.jp/08_03_03_01_middle.nsf/2c11a7a88aa171b449256798000a5805/f5fc2cc7a2c15c5049257236002e6e7c/$FILE/tsengfangchi2.pdf
を読みやすくする為一部改行しました

『鹿児島県史料旧記雑録後編』巻七十七、寛永元(1625・天啓 4)年八月二十日付けの定 に、
一 三司官其外諸役職之不扶持方、自今以後者可為御分別次第之事
一 科人死罪流罪之儀、此方ニ不及御伺、御分別次第たるへき事
一 日本名を付日本支度仕候者、かたく可為停止事(中略)
一 他国人其地へ参儀可為停止事
とあるように、比志嶋宮内少輔・伊勢兵部少輔・嶋津下野守は、三司官以下の諸役職の任命や人の刑罰を琉球国王に決めさせるが、名前や衣服を日本風にしてはならぬ、また他国人を入琉させてはならぬ、という命令を琉球国王に出したとされる。薩摩藩が琉球国王に人事権や裁判権を与えていたが、琉球国の日本風化を禁じ、外国人の入琉を禁止した。

「定」
一、三司官その外諸役職の扶持方、自今以後は御分別次第たるべきのこと
一、科人死罪・流罪の儀、この方に御伺いに及ばず、御分別次第たるべ きこと
一、日本名を付け、日本支度仕り候は、かたく停止たるべきこと
一、おりめまつりの儀、この方御蔵入の分は、耕作時分違わざるようにと仰せ付けられ候、御分領の儀は御分別次第たるべく候
一、他国人その地へ参る儀停止たるべきこと




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